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春が嫌い

春が嫌い

東京で暮らしているこの日常が当たり前になり過ぎて、ときたまふと見える景色に自分は今東京に暮らしているんだという気持ちにさせられる。

「東京で暮らす」という事にどのような意味づけをするかは人によって違ってくるだろう。もともとが地元、進学のため、就職のため、夢のため・・・

春が嫌い

じゃあ自分はなんのためだったのか。改めて考えるとちょっと曖昧だ。進学するチャンスを逃し、地元で鬱屈した日々を過ごす。まわりの何もなさと、自分の何もなさにただただ辟易して、昼ごろに起きて適当に朝食とも昼食ともつかない食事をとり、また昼寝する生活。

当然夜は眠れないから、昼夜は逆転する。夜はすることがない。テレビも深夜になれば放送自体が終わっているからこれといっておもしろい番組もない。暇つぶしのため、ただなんとなくネットサーフィンをして、当時流行っていた無料のFlashゲームを見つけてはなんとなくプレイして。2, 3時間かけてゲームを全クリしたときに同時にくる達成感と虚無感。

なにもない

なんにもなかった。本当に、なんにもなかった。まわりにも自分にも。

春が嫌い

こんな生活をずっと続けていていいわけないと思いながらも特になにかをするわけでもなく、また日々が過ぎていく。なにかを摩耗させながら。

変わりたいのに変われない。いや、そもそも自分は変わろうと努力したか、なにか変わる為に行動を起こしたのか。そんなことを自問自答する。

昔から自問自答は得意だ。まるで呼吸をするかのようにしている。いろんなことを考えていろんな問いを見つけて一人で考えて反芻して、答えがでないうちに飽きてまた別のことを考える。そんなことの繰り返し。

街に桜が咲くころにいつもこんなことを思い出して、昔のことを考えてまた自問自答している
昔に比べてだいぶ環境も考え方も変わってきたのだけれど、それでも今こうして考えてみると似たような状況に陥っている。

まわりにはいろいろなものが増えた。とても綺麗でキラキラしているもの、とても汚くてドロドロしているもの。東京には相反するものが奇妙なバランスで混在している。もののはずみで環境がガラッと変わる。良い方向にも悪い方向にも。一歩間違えれば一気に転落するし、なにかのきっかけでとてつもないチャンスが巡ってきたりする。

幸い自分はこれといった転落を経験していない。けど、これといったチャンスも巡ってきていない。いや、きっときていたんだと思う。ただ自分が気づけなかっただけでいくつものチャンスを逃してきていた。

「なるようにしかならない」

なんて言葉を慰み物にしながら、今日もこうして何もない日々を過ごす。言葉にできない何かを日々すり減らしながらもそれでも懸命に生きている。どこかからこぼれ落ちてしまわないように。

でも、

それも悪くないんじゃないかと思えたりもする。何もない当たり前の毎日をないがしろにして、あーでもないこーでもないとか、もっとチャンスがあればとか、もっとなんかこうできたとか思ってても仕方ない。

劇的な変化なんてそうそう起こらないわけで。それでも周りに流されてしまわないように、日々を重たく暮らしていきたい。そうすれば、いつかきっと劇的な変化は起こらないまでも、なんかしから事態が好転するんじゃないだろうか。非現実的な希望的観測ばかり抱いて、他人と比較して僻んだり羨んだり嫉妬したり、そんなことばかりしているから心がうわついて変な失敗をやらかしてしまうんだ。だから重く暮らしたい。

何もない自分に辟易していた頃よりはきっと何かを得てどこかが成長したんだと思う。思う、というよりかはそう信じたい。

これ以上自分を嫌いにならないように。いつかくるチャンスを活かすために。

そんなことを春になると考え出す。ここ数年答えも結論もでないよくわからない渦の中にいて、ずっともがいている。

こんな気分になるから、春が嫌いです。