不安定な今の中でそれでも「する」選択を選びたい

不安定な今の中でそれでも「する」選択を選びたい

COLUMN

何が正しい情報で何が間違っている情報かわからず、憶測が憶測を呼びフェイクニュースや荒唐無稽な陰謀論まで広がりを見せ錯綜している今。これだけ世界が不安に包まれていろんな主張があるなか、1つだけ注意しないといけないと思うことがあった。それは

断言する人を安易に信用しない

世の中100%これ、絶対これ!なんて言い切れるもなんていくつあるだろうか。何が正解かわからない中、いかにもみなさんこれが正解ですよ、なんて言い切っている奴がいたらそいつは怪しい。世の中断言できるほどシンプルじゃない。

そうはいってもいざ文章であったりメッセージを伝えたりするとなると言い切ったり断言する口調の方がいいのはもちろんわかっている。

「〇〇はこういうことなのかもしれませんよ」
「〇〇みたいな考えもできるかもしれません」

とか。なんというか歯切れが悪いし説得力もない。やはり「〇〇はこうです」「〇〇はこのように考えられます」と言い切ったほうが説得力があるしキレもいい。

だから便宜上というか発信する媒体の特性上、断言せざるを得ない状況はあるのだ。それはわかるし仕方がない。

でも、そのうえでやはりやたらなんでも断言して、さぞこれが正解と振る舞う人に対しては注意してかからないといけないと思った。

こうした先の見えない不安の中、断言されるとやっぱり心のどこかで安心してしまう。正解を与えられて自分の中のモヤモヤや不安が解決したかのように思えてしまう。

・・・それでもやっぱり正解なんてそう簡単に見つかるものでもないし、もしかしたら明確な正解なんてないのかもしれない。

明確な正解がない状況

むしろ人生の大半がそうかもしれない。明確な正解が用意されているのなんて学校のテストぐらいだ。そういう正解がない状況の中、じゃあいったいどうすればいいのか?

自分でめちゃくちゃ思い悩んで正解らしきものをたぐりよせるしかないんだと思う。だからみんな悩むし考えるし、不安になったり落ち込んだり、逆に正解らしきものを見つけて自信を持って前に進めたりする。

不安定な今の中でそれでも「する」選択を選びたい

だから、こういう不安定な状況の中、一番誠実なのは断言ではなくて

「わからない」と素直に言える人

なのではないかと思った。

わからない。やっぱりわからないものはわからないし、先が読めないものは読めない。

その上で何を正解と信じ、何を選択しどう生きていくのか。そこが大事になってくる。そんなとき判断基準になってくるのがその人の思想である。何に価値を置いて、何を思いどう考えるのか。たとえ世間的にはそれが間違えかもしれないけど、それでも自分の考えに従って生きている人をみるとかっこいいなと思ってしまう。

決断ってめちゃくちゃしんどいしエネルギーがいる。ましてやどちらが正解かもわからない選択肢の中から、おそらくこっちのほうがいいんじゃないかという選択を選ぶ。わからないなりにそれでも自分で考えて答えを絞り出してその答えのもと行動を起こせる人は尊敬してしまう。

逆になんの思想もなく、自分で考えることなく与えられた正解のようなものにただ思考停止に従っているだけの人が嫌いだ。

正解のない、先行きの見えない不安定な今を生きているこの状況で、自分が思う正解に正直に行きたいと思ったし、正直に生きている人を応援したいなと思った。

だからこそ、人生するかしないかのその分かれ道で、するという方を選びたい。