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生きてるだけでいいはずなのに・・・映画「生きてるだけで、愛」を観て思うこと

生きてるだけでいいはずなのに・・・映画「生きてるだけで、愛」を観て思うこと

2020年10月14日

みんなには当たり前のようにできることが自分にはできない経験をした事があるだろうか。

当たり前のように朝起きて着替えて準備をして会社に行く。

一歩でもその「みんなの当たり前」ができないとこの世の中は途端に生きづらくなる。

映画「生きてるだけで、愛」の寧子(やすこ)もそう。過眠症。寝過ぎるせいで全然起きられない。

偶然合コンで出会った津奈木と流れで付き合い同同棲している。

寧子はずっと無職で毎日寝てばかり。本気で仕事を探す気もなくただただ津奈木に当たり散らす毎日。

そんなある日、津奈木の元恋人・安堂が目の前に現れ、怠惰な日常に変化が訪れる。

* * *

ちゃんと朝に起きられたら。ちゃんと人と話せたら。もっとうまく生きられたら。

そんな想いとは裏腹に現実の自分は本当に何にもできないダメダメで。過去のどうでもいいことを急に思い出してイライラして、怒りが収まらなくなったり、別に何か嫌なことがあったわけでもないのに自然と涙が溢れ出たり。気づくと感情が暴走しだして、なんで怒っているのか、なんで泣いているのかわからなくなる。

他人は自分と関わることを辞めれば、いいけれど自分は自分をやめられない。ずっと自分と関わっていかなければならない。

生きてるだけでいいのだろうか。

「人非人でもいいじゃないの。私たちは、生きていさえすればいいのよ」

太宰治 — ヴィヨンの妻

太宰治の小説「ヴィヨンの妻」で妻は最後にこう言った。生きてさえいればいいんだ。

生きてさえいればいいのに、ただ生きていることすらままならなくなることが何度もある。

生きてはいる。なんとか生きてはいる。

生きてさえいればいいはずなのに、ただ生きてるだけでは努力が足りないだの甘えているだけだとか、もっと仕事や勉強をがんばって出世して結婚して家を買っ・・・

本当は生きてるだけでも偉いんだ。だって生きてさえいればいいんだもの。

だから褒めたい。

今日を生きたあなたを。

あらすじ
小説家、劇作家、演出家などマルチな活動を展開する芥川賞作家・本谷有希子の同名小説を趣里の主演で映画化。過眠症で引きこもり気味、現在無職の寧子は、ゴシップ雑誌の編集者である恋人・津奈木の部屋で同棲生活を送っている。自分でうまく感情をコントロールできない自分に嫌気がさしていた寧子は、どうすることもできずに津奈木に当たり散らしていた。ある日突然、寧子の目の前に津奈木の元恋人・安堂が現れる。津奈木とヨリを戻したい安堂は、寧子を自立させて津奈木の部屋から追い出すため、寧子に無理矢理カフェバーのアルバイトを決めてしまう。