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散歩は何かに似ているような気がする

散歩は何かに似ているような気がする

散歩が好きだ。目的もなくただなんとなく赴くままに歩く。それだけなのになぜか楽しい。いったいなぜなのだろうか。

人間は移動に喜びを感じるという。

ある研究では、人間の脳は「多様性や新規性のある移動」を検知すると報酬系を作動させ、喜びや幸福感を生み出す、移動に喜びを感じる特別な幸福回路があるとわかった。

つまり、知らない道や毎回違う色々な道を歩くと、脳が快楽を感じるのだ。

なるほど、だから散歩が好きな人が多いのもうなずけるし、なんらおかしいことではない。

しばらく在宅勤務が続きちょっと前に引っ越しもしたので家の周りをよく歩いている。出社していたころは昼休みに会社の周りをよく歩いた。住宅街や細い路地みたいなところを積極的に歩く。すると意外なところにお店があったり、不思議な形をした建物を見つけたり、違う方向から見ると全然景色が違っていたり、この路地とここの通りが繋がっているんだ・・・と、そんなちょっとした発見の積み重ねで、なんとなくその町の”輪郭”みたいなものがわかってくる。なんだか自分がその町にだんだん溶け込んできたような、体に馴染んでくるようなそんな感覚に陥る。

散歩をするとき決めているルールが二つある。

一つは来た道(通った道)を戻らない。なんとなく来た道を通って戻るのは負けた気がする。もっと別のルートがあるんじゃないかとか、一本通りをずらしたらまた違うなにかがあるんじゃないかとか、そんなことを思ってしまう。

もう一つはなるべくスマホで現在地を調べない。なんか答えを先に知ってしまうような気がするのだ。なるべく自分の感覚だけで右往左往したい。感覚っていうか嗅覚に近い。この通りを進めば面白いものがありそうだとか、たぶんこっちに行ってもあそこに辿り着けるだろうって。

東京のど真ん中を散歩していても本当に迷子になって遭難にあうなんてことはまずないだろう。人家のない森の中を歩くわけじゃないんだから。東西南北どっかに向かってひた歩けば、線路や大通りにぶち当たる。スマホだって持っているわけだし、いつでも調べることができる。夜中に散歩をしていて道に迷ったことがある。すぐスマホで現在地を調べてもよかったんだけど、やっぱりどこか悔しくて、「そうだ!北極星がある方が北だ」と、思い出して夜空に北斗七星がないか探したことがある。言わずもがな北斗七星の柄に相当する部分の延長線上に北極星がある。見事見つけることができなんとかどこに進めばいいかわかった。東京のしかも住宅街で星を探すなんてこと、なかなか珍しい体験をしたと思う。

散歩を重ね、ちょっとずつ町を知っていくようになるのって何かに似ているような気がする。

町と自分の関係。散歩を始めた最初の頃は不慣れでよく知らなくて、どこに進めば何があるのか全くわからない。でも散歩を何度もするうちにちょっとずつ知ることができて、ああここはこうなっているんだとか、この通りとこの通りは似ているなとか、この通りを進めばここに出られるはずと思って進んだら全然違うとか。そんな経験を積み重ねてどんどん詳しくなっていって、その町のいいところや悪いところや新たな発見があったり、逆に何度も何度も同じ道を通って見飽きてしまったり・・・

何かに似ているような気がする。