日常と非日常の間に

日常と非日常の間に

COLUMN

書いては消してを繰り返して。こんなもんちょちょっといくらでも書けるだろと思ったらまったく書けない。スランプ?いや、スランプっていうほどそもそも記事を書いていない。なんだ、ただの怠惰か。そんなことを思いながら、下書きだけが増えていく。気づけば秋だ。

心が変われば行動が変わる。

行動が変われば習慣が変わる。
習慣が変われば人格が変わる。

人格が変われば運命が変わる。

ウィリアム・ジェームズ

一度は聞いたことはあるかもしれないこの言葉。どうやらアメリカの心理・哲学者ウィリアム・ジェームズによる言葉らしい。

心がけ、日々の習慣がやがて運命を変える・・・そんなことをいわれても、「よし!毎日着実に清く正しく生きよう!」と思えるだろうか。圧倒的に繰り返されるなんの変哲のない日常で、こんな言葉なんてすぐ忘れてしまいそうだ。

で、日常って?

日常と非日常の間に
日常とは手元の辞書によると、「つねひごろ、ふだん」という意味らしい。そもそも日常はなんてことないのだ。今日も明日も学校に仕事、家事に育児にひたすら寝るだけ・・・毎日当たり前のように繰り返される、それが日常。だから退屈なのもしょうがない。

そんな日常とは違う体験を「非日常」とよく呼ぶ。「日常に非ず」で非日常。なるほど、普段ではないことが非日常なのだ。

非日常は特別だ。いつもと違うのだから。いつもと違うところへ出かけたり、いつもと違うものを食べたり、いつもと違う遊びをする。いつもと違う事故に遭ったり、いつもと違う病気に見舞われたり、いつもと違う天災に遭ったり。これもまた非日常だ。

コロナもひとつの非日常だった。テレビでは連日感染者数が声高に報道され、ロックダウンだのオーバーシュートだの聞き慣れない言葉に溢れかえって、出かけてはダメ、大勢で集まってはダメ。こんな経験なかなかしたことがなかった。まさしく非日常だ。

手指のアルコール消毒、マスクの着用など、今や当たり前になってしまった。非日常も続けばやがて日常になってしまう。これってちょっと不思議だ。

日常をマシにしたい

もし仮にすごく楽しい非日常な体験を毎日繰り返してたら、それはきっともう楽しい非日常ではなくて、退屈な日常に成り代わっているのかもしれない。非日常な体験は確かに楽しいしとくべつだけど、我々には圧倒的な日常が待ち構えている。

退屈な日常をなんとか耐えて非日常を待つよりも、なんとかして退屈な日常を少しでもマシにできたらなってよく思う。

どうやったら日常を楽しく過ごせるのだろうか。そんなことを日々考えている。これは捉え方の問題だ。択捉島?違うそれは北方領土。

日常に変化を与えればいいんだ。

どうやって変化を与えればいいのか?それをいま考えているところ・・・